2012年9月19日

CMLのCMR達成(まぎらわしい?)

CML治療開始から1年半にて、CMR(Complete Molecule Response; 分子遺伝学的完全寛解)に到達しました!想定外の高速達成にとりあえずほっとしました。これで、このまま順調に二年くらい寛解維持して、掲示板でも時折話題になっているドラッグオフの治験に参加したいと思います。

それにしても、よかったよかった(^-^)グリベックさまさまであります。

血液検査の結果は、もはやあまり気にしておりませんが相変わらずの低空飛行なんで、体調と体力には引き続き気を付けてのんびりやっていきます。


白血球数の推移



赤血球数の推移


血小板数の推移

記事紹介:ポナチニブは慢性骨髄性白血病(CML)に対して優れた治療効果を示す(海外癌情報リファレンス)

サードラインとして治験中のポナチニブですが、治験結果がかなりポジティブなようです、T315変異のあるCML患者に対しても、7割がmolecular cytogenetic response(原文ママ、分子遺伝学的寛解なのか、細胞学的寛解なのかあいまいですが)に到達しているようで、有害事象も1割と、さほどファースト・セカンドラインと比較して増えてもいないようなので、期待できそうですね。

原文(英語)はこちら。
http://news.cancerconnect.com/ponatinib-produces-high-response-rates-in-cml/

http://www.cancerit.jp/18683.html

ポナチニブは慢性骨髄性白血病(CML)に対して優れた治療効果を示す

キャンサーコンサルタンツ
2012年8月13日
2012年米国臨床腫瘍学会(ASCO)年次総会(イリノイ州シカゴ市)において発表された中間解析結果によると、試験中の分子標的薬剤ポナチニブは治療抵抗性の慢性骨髄性白血病(CML)に対し、極めて有効であり、しかも効果の発現がはやく、作用の持続も長いとみられることがわかった。
米国では毎年、およそ5000人がCMLと診断されている。CMLのほとんどの症例で特徴的なのはフィラデルフィア染色体と呼ばれる染色体異常である。この染色体では9番染色体と22番染色体の間で遺伝物質が交換されている。この交換によりBCRとABLの二つの染色体が融合する。これら二つの遺伝子の組み合わせが単一のBCR-ABL 遺伝子になることにより、細胞の異常増殖に関与するたんぱく質が産生される。
ポナチニブは経口で有効な複数標的チロシンキナーゼ阻害剤であり、主にBCR-ABL阻害剤として作用する。ポナチニブは、抵抗性が高く、治療困難であるT315I変異を克服する目的で創薬された。オープンラベルで行われたPACE試験には、タシグナ(ニロチニブ)またはスプリセル(ダサチニブ)による治療を受けたが耐性が現れた、またはT315I変異のあるCML患者またはフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ球性白血病患者が登録された。
患者数は合計444人で、その内訳は慢性期CML(CP-CML)患者271人、移行期CML患者(AP-CML)79人、および急性期ALL(BP-ALL)患者94人であった。患者にはポナチニブ45mgが1日1回投与された。登録はすでに完了したが、経過観察を継続している。慢性期患者の主要エンドポイントは分子的細胞遺伝学的寛解であり、慢性期患者の54%がエンドポイントに達し、その内訳はT315I変異陽性患者の70%、およびタシグナまたはスプリセルに抵抗性であったり忍容性のない患者の49%であった。研究者らは、細胞遺伝学的寛解の大部分は細胞遺伝学的完全寛解であることを指摘しており、高い分子遺伝学的大寛解率が認められた。
移行期患者の主要エンドポイントは血液学的寛解であり、58%の患者で達成できた。その内訳は、抵抗性であったり、忍容性のない患者では60%、T315I陽性患者でも50%であった。同様に急性転化期CML患者でも各々34%、35%、および33%がエンドポイントに達した。
治療効果は経時的に改善し、3カ月後では38%の患者が分子的遺伝細胞学的寛解に達し、6カ月後では49%、さらに9カ月後では53%の患者が寛解を得た。この傾向は試験を行なったすべてのコホートでみられた。また、同じ時間間隔で各々13%、24%、および38%の患者が分子遺伝学的大寛解に達した。
治療を中断した理由で最も多かったのは病状の悪化(12%)、次いで有害事象(10%)の発生であった。また、薬剤関連有害事象で多かったのは血小板減少、発疹、および皮膚乾燥であった。
研究者らは、ポナチニブはすでに重い治療を受けた患者や、抵抗性であるT315I変異のある患者においてかなりの効果があると結論付けている。効果は早期に現れ、持続的である。初期段階のデータであるが、ポナチニブによる三次治療により、タシグナやスプリセルによる二次治療で得られる寛解率に匹敵するかそれ以上の効果が得られるかもしれない。
参考文献:
Cortes JE, Kim DW, Pinilla-Ibarz J, et al. PACE: A pivotal phase II trial of ponatinib in patients with CML and Ph+ALL resistant or intolerant to dasatinib or nilotinib, or with the T315I mutation. Presented at the 2012 annual meeting of the American Society of Clinical Oncology, June 1-5, 2012, Chicago, IL. Abstract 6503.
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小縣正幸 訳
林正樹(血液・腫瘍内科/敬愛会中頭病院) 監修
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2012年9月9日

高額療養費の上位所得者認定

高額療養費制度において、ついにというかようやくというかこの4月より「上位所得者 (標準報酬月額53万円以上)」扱いされるようになっていたようで、約30万円の薬代に対して4万4千円でなく8万円3千円ばかしを実負担というようになりました。

なっていたようで、というのは、今年の2月と4月の高額療養費申請をつい先月行ったところ、2月と4月で還付額水準が異なったので、おそらくそれが原因だろうということです。

ただ、4月の分についても15万円台ではなく8万円台だったということは、12か月以内のいわゆる多数該当は、所得水準の区分が変わっても継続カウントされているようなのでそれはありがたいです。

2012年9月6日

1年半を振りかえって

この1年半、自分が生きることと死ぬことについて考えることが多かった。ふとするとそのようなテーマのもの(宗教的な小説・エッセイやサイバー系サイエンスフィクションなど)を選択的に吸収しようとしてきたように思える。その結果、1年間半でわかったこと、これはすなわち病気にならなければ分かり得なかったことだと思うが、をようやく書き記せそうな気がしてきたので、テキストの形で形にしてみたいと思う。

自分のXX年後に死ぬ確率がYY%という統計的事実を突き付けられたときに、まず感じたのは、自分にとって驚くほど衝撃がなかったことである。一つには、その前の夏からの体調不良と、ちらっと出自を鑑みて、ひょっとしたらひょっとするのかもしれない、と考えたことがあったからかもしれない。

ただそれだけでなく、自分のこれまでの人生において、思い通りにいかないことも多々あったものの(野球とか恋愛とかアイセックとか)、その中で自分は、その時々に自分が取るべきと感じた(≠考えた)選択肢を取ってきたからではないかと、後に立って思い立った。自分は幸運だったんだな、と改めて感じた。

よって、「これまで」の問題は驚くほどなかったので、問題となったのは「これから」のことであった。ここでも僕は幸いなことに、幸運だらけであった。とても仲が良い、僕にとっては本当に数少ない、友人の中に何でも相談できる医者と製薬業界関係者が含まれていたこと。グリベックの副作用が殆どといってよいほど出なかったこと。そして何より、病気になったことをしなやかに受け止めてくれるパートナー(当時婚約者、今結婚相手)がいたこと。

原則的に、人間は基本的に自分に依って生きるものであり、誰かに寄りかかるという生き方は嫌いであった。まあそれは今でも変わっていないと思う。しかしながら、そばを一緒に声を掛けながら歩いてくれる人がいるだけで、そしてその人と一緒の風景を見ることが、こんなにも自分にとって大事に思えるようになるなんて思わなかった。

そして、自分が死んだとしても、僕の一部は、生きている誰かの中に残っているし、同じように、僕もその誰かの一部でできている、ということに改めて思い至った時、自分の中の何かが氷解した。ある種悟ったとでも言えるのかもしれない。生活が何ら変わったわけではない。ただ、その時僕は、すぐにそうなるつもりは毛頭ないのであるが、自分は安心して死んで行けると確信したのである。それはある意味振ってきたようなものであるが、確信という言葉が最も近いように思える。思いきって言えば、大悟とでも言っていいのかもしれない。

僕の中には、いままでに触れた全てのものが詰まっている。両親、伯父伯母、祖父祖母、パートナー、友人、本、映画、演劇、風景、野球、などなど、それらが僕の人格の一部、いや正確には、僕の中の複数の指向性の一部、を形作っているのである。これを以て、When I die, I will go where my love belongs to.とつぶやいたのである。故に、Don't worry.であると。

なので、これからも、ある種自堕落で刺激のあるバラ色の日々を、僕の周りにいる、僕を形づくる人たちと過ごせていければ、これに勝る幸福ではないのではないかと思う。なお、留学はそのための肥やしにしたいのと、あと現実的には、治療を続ける中で当座の目に見える目標が欲しかったのだと分析している。故にエッセイでlong-term career visionは?とか問われて悪戦苦闘しているわけであるが。苦笑