2012年9月6日

1年半を振りかえって

この1年半、自分が生きることと死ぬことについて考えることが多かった。ふとするとそのようなテーマのもの(宗教的な小説・エッセイやサイバー系サイエンスフィクションなど)を選択的に吸収しようとしてきたように思える。その結果、1年間半でわかったこと、これはすなわち病気にならなければ分かり得なかったことだと思うが、をようやく書き記せそうな気がしてきたので、テキストの形で形にしてみたいと思う。

自分のXX年後に死ぬ確率がYY%という統計的事実を突き付けられたときに、まず感じたのは、自分にとって驚くほど衝撃がなかったことである。一つには、その前の夏からの体調不良と、ちらっと出自を鑑みて、ひょっとしたらひょっとするのかもしれない、と考えたことがあったからかもしれない。

ただそれだけでなく、自分のこれまでの人生において、思い通りにいかないことも多々あったものの(野球とか恋愛とかアイセックとか)、その中で自分は、その時々に自分が取るべきと感じた(≠考えた)選択肢を取ってきたからではないかと、後に立って思い立った。自分は幸運だったんだな、と改めて感じた。

よって、「これまで」の問題は驚くほどなかったので、問題となったのは「これから」のことであった。ここでも僕は幸いなことに、幸運だらけであった。とても仲が良い、僕にとっては本当に数少ない、友人の中に何でも相談できる医者と製薬業界関係者が含まれていたこと。グリベックの副作用が殆どといってよいほど出なかったこと。そして何より、病気になったことをしなやかに受け止めてくれるパートナー(当時婚約者、今結婚相手)がいたこと。

原則的に、人間は基本的に自分に依って生きるものであり、誰かに寄りかかるという生き方は嫌いであった。まあそれは今でも変わっていないと思う。しかしながら、そばを一緒に声を掛けながら歩いてくれる人がいるだけで、そしてその人と一緒の風景を見ることが、こんなにも自分にとって大事に思えるようになるなんて思わなかった。

そして、自分が死んだとしても、僕の一部は、生きている誰かの中に残っているし、同じように、僕もその誰かの一部でできている、ということに改めて思い至った時、自分の中の何かが氷解した。ある種悟ったとでも言えるのかもしれない。生活が何ら変わったわけではない。ただ、その時僕は、すぐにそうなるつもりは毛頭ないのであるが、自分は安心して死んで行けると確信したのである。それはある意味振ってきたようなものであるが、確信という言葉が最も近いように思える。思いきって言えば、大悟とでも言っていいのかもしれない。

僕の中には、いままでに触れた全てのものが詰まっている。両親、伯父伯母、祖父祖母、パートナー、友人、本、映画、演劇、風景、野球、などなど、それらが僕の人格の一部、いや正確には、僕の中の複数の指向性の一部、を形作っているのである。これを以て、When I die, I will go where my love belongs to.とつぶやいたのである。故に、Don't worry.であると。

なので、これからも、ある種自堕落で刺激のあるバラ色の日々を、僕の周りにいる、僕を形づくる人たちと過ごせていければ、これに勝る幸福ではないのではないかと思う。なお、留学はそのための肥やしにしたいのと、あと現実的には、治療を続ける中で当座の目に見える目標が欲しかったのだと分析している。故にエッセイでlong-term career visionは?とか問われて悪戦苦闘しているわけであるが。苦笑

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